もし「学校」で身に付くなら、NOVA如く「身に付くよく付く」スクールが何故跋扈する。
私は現在「学校」で教鞭を執っている。
基本的に「学校」の先生方は真面目です。
ただ、「熱心」かというと、そうでもないだろう。
私の亡き親などは、不良息子を嘆いて「学校の先生」が何もしてくれないと嘆いた。
勿論、特定の担任に対してですが。
それに、決して教師に面と向かい僅かの苦言を呈することもなかった。
「子どもは人質にとられている」とも言っていた。
先生の尊厳は侵すべからずということが、根底にあった。
私の母親は、「教育ママ」でしたよ。
それが嵩じて、私が曲がった面はあります。
その私が、間違って「教員」になった時。
あの時、両親の欣喜雀躍ぶりは、今も忘れない。
「本当に苦労しただけに、あなたは可愛いけれど、生徒のためには命を捨てなさい」
20を数年超えた私に、母はそうキッパリ伝えました。
職場では、様々な出会いがありましたが。
今にして分かることがある。
私は、「熱心」であることが「教える」ことのすべてであると思っています。
しかし、「熱心」さは、意外にも「後天的」なものである気がしている。
若い頃から「熱心」な人もいるが、経験を経て「熱心」になる人もいる。
それを決めるのは「信念」以外にはない。
真面目な教師ほど授業を成り立たせることに苦労します。
不真面目な教師には二通りある。
一つは、授業が成り立たずとも、苦にせず遣り過ごせるタイプ。
いま一つは、高圧的に対して「形だけ」授業を成り立たせるタイプ。
特に後者は、威風堂々とすら見える。
自分の意思を曲げない。
甲殻類に似て、内面の脆弱を顕さず、勝手な「正論」を通して省みることがない。
一番「楽」な「教師」だと云える。
「変人」というだけでなく、間違いなく「教育」にとって迷惑な存在だと確信します。
かく言う私こそ、そんなタイプでしたから。
今では、贖罪の日々なのです。
そのタイプの英語教師は成長しない。
何を極めようとすることなく、「楽な」方法のみ追求して他を小馬鹿にして恥じない。
劣等感が裏返された分だけ、異常なまでの頑固偏狭さで「教育」にあたる。
自分の「弱さ」にだけ敏感で、人には病的に強い。
お分かりかと思いますが、公教育には現在もその種のイビツな「教師」は存在します。
私の場合、生徒たちにより、そんな「迷妄」に気付かされた面が強くあります。
現在、マスコミ始め世間の論調に「教師叩き」とともに「自分勝手な親たち」がある。
どちらも「真実」ではあると思います。
ただ、どちらをまず糾すべきかといえば、私は「教師」が反省すべきだと思う。
「サラリーマン」だと思うなら、辞めた方がいい。
「自分」や「家族」が大切なら、尊敬は得られない。
特にあなたが、先述した「有無を言わさない」タイプの「教師」に不利益を齎されたなら。
遠慮なく、「管理職」に相談する。
少なくとも、公平に考えを聞いてくれる筈です。
私も含めて、教師には常に「改善が必要だ」という自省が必要だと思う。
例えば、狭く「英語」に限れば、英語の「実力」について。
英語教師は英語を「使う」立場で、教授すべきです。
英語を「使わない」から、本物の英語は教えられない、というのはよくある言い訳です。
それがまかり通るうちは「英語教師」の英語力は信頼出来ないし、尊敬などされない。
それは、生徒たちが一番良く知っている。
淘汰されねばならない「教師」の自覚がない。
「生徒」も「保護者」も、きちんと「教師」に対応する。
要求すべきは要求する。
「教師」からすると、「協力」する姿勢で接して頂けると有難い。
一緒に、生徒を「英語教育」を学校を良くしていきましょうよ、ということです。
教師生活、或る意味で「昔」は楽でした。
でも昨今の現実を鑑みるに、まだまだ「教師」は頑張る必要がある。
そして、「保護者」も含めた皆さんのご協力を望みたいのです。
叱咤激励、ご鞭撻の程、宜しくお願いします。
「英語」の実力については、特に厳しく要求して貰えればと思います。
「教師」は全て、発展途上ですからね。
「管理職」も含めて、です。
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